ドラ麻雀などの博打は好きではないが

ドラ麻雀などの博打はどうにも好きになれない。
堅実な生き方が某だとか法律が云々ということではなく、負けることと金を取られることが嫌いだからだ。
言うまでもないが、これは当の博打好きだって嫌に決まっている。
私の場合は、博打で勝った試がないという経験から敬遠するようになった。
若い頃は友人の付き合いもあってパチスロなども並にやっていた時期もあったが、上の理由からすっかりやめてしまった。
まぁ、深みにはまり込まなかったという意味では、自分の博打運の低さに感謝する。
これでそこそこ勝っていたならば、今も立派にパチスロ屋などで列に加わって開店を待っていたかも知れない。
因みに、私を博打に誘ってくれた友人達は、現在誰とも連絡が取れない。
彼らの親類や血縁の人々ですら、行方が判らない…と安否を気にしている次第である。

手本引きや賽本引きといった任侠がやる本場ものの博打はともかくとして、庶民が手を出せる博打は、先の友人の誘いで一通り体験したが、
その中で博打云々を問わず理屈抜きに面白いと思ったのは、花札と麻雀だった。
その中でも、今回は私自身によるドラ麻雀の体験について触れてみたいと思う。
最初は友人が『人数が足りないから。4人いないとゲームが成立しないんだわ』と訳も判らず卓の前に座らされた。
それまで一度もやったことがないから、もちろんルールなど判ろう筈もない。
いや、厳密に言えば子供向けの麻雀…所謂『ドンジャラ』なるものは小学校にやったことはあったが。
友人達も、そのドンジャラを引き合いに出してルールを説明してくれたが、殆ど頭に入らなかった。
まぁ自分の順番になったら要らない手持ちの牌を表にして卓に出し、牌を背にして並べた山から順に新しい牌を持ってくる…というのを繰り返し、
役を作るというのは理解出来た。
麻雀役
問題は役のことだった。
とにかく、覚え切れない位、沢山の役がある。
ずぶの素人に、その場で理解しろと言われても判るはずもない。
ガイドブックを持ってきて『これで何とかして』と友人は言ったが、如何せん読解力が足らない私には無理がある注文である。
それに加えて、ただ役をそろえて終わり、というだけでなく、役の他に雀頭…という同じ牌が2枚というものがなければ上がることが出来ないというのだ。
これがとかく理解に時間がかかった。
そんなこんなで、初めてのドラ麻雀体験は散々たるもので、当然ながらゲームは私のせいで何度も中断した。
その度に友人達からはブーイングだ。
おいおいこちらはずぶの素人なんだ、頼まれて卓に座らされたのにそれはないだろうと、私も口を尖らせて文句を言った。

何やかやで役やルールを覚えた頃には、欲が出てくるもので、友人の『やるか?』の一言にも進んで乗るようになった。
役満ばかり上がろうとして撃沈されることも珍しくなかったし、勝てることも少なかったが、この時がドラ麻雀で一番楽しかった。
だが、そんな日々もいきなり終わりを告げた。
私自身は殆ど金銭を賭けて打つことはなく、大体は夕飯の奢りを賭ける…といったものだった。
だが、友人達は他の面子で勝負する時は、いっぱしに金銭を賭けていたようだ。
それがいけなかったのだろう、友人の一人がどうにも負けが込み、かなりの借金となっていたそうで、何も言わずにいきなり私達の前から姿を消した。
別の友人に聞いたところ、何十万という単位だったそうだ。
多分、別なところでも同じように麻雀を打って借金を作ったのだろう、と友人。
確かにそうでもなければ、そこまでの金額にはならないだろうとも思った。
その影響があったのか、私達の麻雀熱は次第に冷めていった。

今では博打仲間もいなくなり、私は卓に座って麻雀を打つことはなくなった。
たまにゲームで2人打ちドラ麻雀をたしなむ程度に落ち着いている。
私にとって、これが一番気楽でいい。
負けても金銭を取られないし、友人関係も壊れない。
今後も縁あってドラ麻雀への誘いがあったとしても、『金銭は賭けないよ』と遊びの内に留めておこうと思う。
博打はいかんと言いたいわけではないが、ドラ麻雀が元で友人がいなくなるのは、やはり淋しいものだから。